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2024/03/01 (金)

【第30回】 心の動きと〈芸〉     生沼義朗

 いわゆるコロナ禍にまつわる諸事情により、都内の事務所を引き払って自宅で家業の仕事をするようになったが、何年かそうした生活をするなかで、おのずと一日の基本的なスケジュールが出来上がった。朝は七時に起きて簡単に朝食を摂って薬を飲み、七時半に出勤する妻を送り出して本業に取り掛かる。並行して原稿や選歌などもする。仕事の打合せなどがあるときなどは昼頃出て夕方に戻るが、出掛けないときは午後五時頃に切り上げて一、二時間ほど寝ないと、過眠症の持病があるので身体が持たない。起きたら夕食を作り、帰ってくる妻を待つ間にメールの返信などをする。
 夜はミスが増えるので基本的に簡単な仕事に絞る。急ぎの仕事がないときは音楽を聴いたりするが、最近はYouTubeで公式にアップされたコンテンツも多いので、漫才もよく見る。気に入っているのは博多華丸・大吉、ナイツ、Dr.ハインリッヒ、金属バット、オズワルド、ハイツ友の会あたり。挙げてみると、言葉から笑いを立ち上げようとする話芸を感じさせる芸人が多い。
 その中でも、とりわけ気に入っていてすごいと思うのが海原やすよ・ともこだ。漫才のテーマはいつも大阪と東京の比較で、普通の会話をしているようで流れや緩急があり、聴いていてまったく飽きない。前にナイツの塙宣之が著書で「一見世間話に見えつつ、爆笑が取れるのが理想の漫才」という主旨の話をしていたが、まさにそのお手本と言っていい。もちろん、その背後には膨大な年季と経験と修練があるのは言うまでもない。
 考えてみれば、これはどのジャンルにも通じることで、名優と呼ばれる役者はただ歩いているだけでも充分芸になり、その背後には膨大な蓄積があるのと同じだ。
 そんなことを考えながら手元の小池光歌集『サーベルと燕』を再読していたら、こんな歌が眼についた。

  原節子の本名なんといつたつけ思ひ出せずに苦しむくるしむ
  下りゆくエスカレーターの前の女(ひと)のうなじに見入るは罪ふかからむ
  帝国書院世界地図帳の蟻の地名をハズキルーペにすがり読むなり
  雀宮(すずめのみや)のホームのさきにひとむらの背高泡立草はしづかに立てる
  軟式野球と硬式野球とあるごとくワンダーフォーゲル部と山岳部あり
  「国境なき医師団」にわづかなる送金しつつ年くれむとす

 『サーベルと燕』は弟の死など大きな出来事も詠われるが、あえてただごと歌に属する歌をいささかランダムに引いた。
 小池には『思川の岸辺』という歌集があるくらい、しばしば電車に乗って栃木県内に歌を作りに行っていることは小池の読者にはよく知られているところで、一首目の「原節子」をはじめ、ここには引かなかったが「ザ・ピーナッツ」など小池がよく詠うモチーフもよく見られる。むしろ、モチーフとしてはおそらく初めて詠むものの方が少ないかもしれないが、これは無意識にモチーフを洗い直しつつ作品の中で鍛えていることのあらわれで、要は歌手が持ち歌を歌ったり、落語家が同じ噺を繰り返し高座にかけるのと同じである。
 小池の歌がマンネリにならないのは、何気ない景色を描きつつ、情景の切り取り方と言葉の斡旋および運び方に無駄がないことに加え、小池が何にどう心が動いたかが分かり、かつ文体や言葉が作品として練られているからに他ならない。だからこそ、読者につねに新たな読後感をもたらす。
 笑いも感動も、要は受け手の心の動きだ。そして作り手の心の動きが忠実に作品で再現されるとき、受け手の心も動く。どのジャンルでも、そのメカニズムを知悉して使いこなすことすなわち芸であり、その芸ができる人を卓抜したクリエイターと呼ぶのである。

プロフィール
生沼義朗(おいぬま・よしあき)
1975年東京都生まれ。「短歌人」編集委員。歌集に『水は襤褸に』『関係について』『空間』。日本歌人クラブ中央幹事、埼玉県歌人会理事。

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