Motherが日本語(ぼく)の母さんであるかうたがふがその部屋の戸は閉めるな母さん
                             『臓器(オルガン)』
                             ※「ぼく」はルビ
 掲出歌は、英語の「Mother」が日本語の「母さん」に正しく該当するのか疑う、と上の句で述べている。これは、創造主であるGodと八百万の神々のようなニュアンスの違いを、「Mother」で述べているのである。ただ、「日本語」には「ぼく」というルビが振られており、Motherがぼくの母さんであるか疑う、とも述べている。勿論これは出生の疑義を問題にしているのではない。優しさ、暖かさ、愛情という特質を持つ、所謂「母」が、ぼくの「母さん」にも当てはまるのか疑う、と述べているのだ。その上で、下の句では母からの拒絶を忌避する痛切な母恋の作品となっている。
 ところで、掲出歌には「ジョンレノン『Mother』に」という詞書がある。ここで、ジョン・レノンの楽曲である「Mother」の歌詞を、抄出ではあるが確認しておこう。なお、翻訳は今野雄二によるものである。
     マザー
  母さん ぼくはあなたのものだったけれど
  あなたはぼくのものではなかった
  ぼくはあなたが欲しかったのに
  あなたはぼくを欲しがらなかった
  だからぼくはお別れを言わなきゃならない
  さようなら さようなら
  母さん行かないで
  父さんもどってきて
 こうして比べてみると、掲出歌は、ジョンの「Mother」の見事な翻訳でありながら、英語と日本語のニュアンスの機微にも触れた作品となっていることが分かる。
  ポールからジョンへ好みを移す、でも詰問攻めには会はぬ速度で
              『馴鹿(トナカイ)時代今か来向かふ』
 ポール・マッカートニーの「Yesterday」や「Let It Be」が好きでビートルズを聴き始め、聴いているうちにジョンの楽曲に傾倒してしまった。上の句はそんなところだろうか。ビートルズ入門としては、想定できるケースである。では、下の句はどう解釈すべきか。
 ビートルズ・ファンの間で度々起こるのが、ジョンとポールのどちらの楽曲が優れているか、という論争である。ジョン派への転向にポール派からの詰問を警戒している場面と読める。ただ、岡井隆にも、アララギのスタートから前衛短歌へ、続く出奔後の充実期からライトヴァースの提唱へと、さまざまにスタイルを変えていった経緯があった。このスタイルの転身は作品だけに留まらず、そのようにしてオールド・ファンを裏切り続けてきた岡井には、常に賞賛と批判が付きまとった。掲出歌は、そんな岡井への「詰問」に向けられた作品であるとも読める。
 なお、ジョンとポールの優劣論争は、特にビートルズと同時代を生きたファンに多い。
 岡井を詰問攻めにあわせたのも、岡井と同時代を生きた人々が多数だ。詰問攻めから徐々に解放された時、岡井は胸をなで下ろしたのであろうか。それとも淋しく感じたか。
 今となっては知る由もない。
プロフィール
和嶋勝利(わじまかつとし)
1966年東京都生まれ。歌誌「りとむ」編集委員。日本歌人クラブ中央幹事。歌集『天文航法』(第5回ながらみ書房出版賞)、『風都市』、『雛罌粟の気圏』、『うたとり』。