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2024/01/02 (火)

【第28回】 競走馬、母音、光、喝采     染野太朗

 服部真里子はどこに行ってしまったんだろう。出版されている歌集は現時点で『行け広野へと』と『遠くの敵や硝子を』の2冊。第2歌集『遠くの〜』の刊行は2018年10月。そのあと、2019年の半ばあたりから、服部は短歌の表舞台からほとんど姿を消してしまった。10年、20年というわけではないのに、服部のいない今日までのおよそ4年半を、僕はとても長いもののように感じる。

  あなたの眠りのほとりにたたずんで生涯痩せつづける競走馬   /『行け広野へと』
  浜木綿と言うきみの唇(くち)うす闇に母音の動きだけ見えている
  花びらと母を率いてやってきてひねもす温水プールに遊ぶ
  赦すこと 花の蕾を食べること 頰のつめたい日に覚えたね
  心まで光に透ける日があって今そこにいますか、初夏

 『行け広野へと』の代表歌と言えば、例えば〈音もなく道に降る雪眼窩とは神の親指の痕だというね〉とか〈野ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた〉〈広野(こうや)へと降りて私もまた広野滑走路には風が止まない〉とか、あるいは〈キング・オブ・キングス 死への歩みでも踵から金の砂をこぼして〉〈少しずつ角度違えて立っている三博士もう春が来ている〉あたりで、輪郭が濃くかつ繊細で自在な詩性、しなやかでしたたかなほどの意志のありよう、そしてキリスト教のモチーフなどをその特徴として考えればよいのだと思うが、改めて読んで心を動かされたのは、上に引いたような歌だった。詩性、意志、モチーフ、といった評語によって読もうと思えばもちろん読めるのだが、そのように読むだけでは取りこぼしてしまう何かがある。

 この競走馬は実は、何かの喩ではなく、とにかく競走馬としか言うことのできなかったもの、というより、本物の競走馬のような気がする。実際の競走馬がそこにいて、痩せつづけている。唇の動きだけが見えていて、そこへ言葉によって干渉していくような意志は見当たらない。動く唇だけがただぼんやりとそこにある。それを見ている。花びらと母も、赦すことも、初夏の予感も、それがそれそのものとして、言葉による論理、演出に巻き込まれず、過剰な意味や象徴性を与えられず、ただそこにある。一首としてはこれほど詩性に満ちた感触を残しながら、一首が内包するそれぞれの具体物や観念は、ただそれそのものとして提示されている感じがある。そこにあるものを、言葉によってただやさしく撫でているような感じがある。「心まで光に透ける日」とはあまりにも観念的で通俗的な、甘い表現ではないか。それなのに「今そこにいますか」という語りかけは、その印象をむしろ豊かに活かしてしまう。結果的に、そこに予感された初夏の存在が、ただやさしく指し示される。―うすぼんやりとした、感傷的な読みになっただろうか。

  わたくしが復讐と呼ぶきらめきが通り雨くぐり抜けて翡翠(かわせみ)   /『遠くの敵や硝子を』
  おびただしい黒いビーズを刺繍する死よその音を半音上げよ
  鶏頭がひとつの意志を顕たしめて君よその火を見せてくれるか
  日ざかりを喝采のごと寄せてくるものを拒めり白百合抱いて
  遠雷とひとが思想に死ねないということと海が暮れてゆくこと
  神を信じずましてあなたを信じずにいくらでも雪を殺せる右手

 けれどもというか、それでもというか、一方の『遠くの〜』を読み返すと、やはり強い意志の歌が目立つように思うし、『行け広野へと』のときよりも抽象や観念がそのまま詠み込まれる場合が多く、さらに、それが物質化してしまったかのような迫力さえ感じる。あるいは、何かを得ようと、納得しようと、拒もうともがいているような感じ、だろうか。無数と言っていいほどの黒いビーズは、死を視覚化し、そこにざらつく感触まで与える。死への命令によって、死が観念のまま、その迫力をさらに増している。寄せてくるものが何かはわからない。しかし、日ざかりの喝采という表現によって、それのみによって、抽象的なその寄せてくるものへの抵抗の力をありありと想像させる。復讐や翡翠、死、鶏頭や君の火、寄せてくるもの、思想に死ねないこと、信じないこと、それらが一首に置かれることで彫りを深くし、きらめきを増している。何かをそのまま撫でるというより、それらが自分にとっていかなるものなのか、その輪郭をより濃く深くすることで明らかにしようという意志、のようなもの。その意志の強さに打たれる。

 自宅の本棚の、自分の目の高さにいつも並べてある歌集が何冊かあって、服部の歌集もそこに並んでいる。でも僕はそれをしばらく読み返していなかった。なぜ読まなかったのか、自分でもよくわからない。忘れていたわけでも、読みたくなかったわけでもない。短歌の世界に立つ服部真里子にまた会いたい。

  ああ雪を待っているだけわたしたち宇宙にヘッドフォンをかぶせて   /『遠くの敵や硝子を』
  君を呼ぶときの心はまずしくて椋鳥さわぐ夕暮れをゆく
  うつりかわる母音のように暮れてゆく海のもうしばらくは藤色


プロフィール
染野太朗(そめの・たろう)
1977年茨城県生まれ。歌集に『あの日の海』『人魚』『初恋』。「外出」「西瓜」「まひる野」所属。

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