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2025/05/31 (土)

【第45回】塚本邦雄『透明文法』の魅力   尾崎まゆみ

  櫻桃にひかる夕べの雨かつて火の海たりし街よ未來も   『透明文法』「少年展翅板」

 二十四冊の序数歌集など三百冊余りの著作を出版、歌人であり小説家、優れたアンソロジストでもあった塚本邦雄は二〇〇五年六月九日没。蒸し暑い日だった。あれからいつの間にか月日は過ぎて、二〇二五年つまり今年は没後二〇年となる。私の周りでも直接会ったことがある人の方が少なくなってきたけれど、新しい読者にも恵まれて、「角川短歌」五月号では特集が組まれ、昨年は『新版 百珠百華』(書肆侃侃房刊)『連弾』(河出文庫)など、塚本邦雄の著作が装いも新たに出版された。
 私がほぼ二年間、編集に関わって昨年出版にこぎつけた『塚本邦雄歌集』(書肆侃侃房)もその中の一冊。節目の年に間に合ってホッとしているのだが、選歌に関わっていない時間も頭のどこかに塚本邦雄の短歌の一節がひらひら漂っていたので、少しさびしくもある。短歌や評論などの著作の中から声が聞こえてくるからだろう。二十回目の忌日を迎える六月に公開されるこの場をかりて、解説では触れなかった『透明文法』の魅力を、まとめておきたい。
 歌集編集中は、短歌と対話しているような雰囲気、苦しいけれど色々と発見があり楽しい時間だった。選歌は序数歌集からが基本なのだが、『水葬物語』から始めると、何か物足りない。大切なことを置き忘れているようで落ち着かない。どうしても唐突な感じで、後半に繋がらない。『塚本邦雄歌集』と名打つからには、ひとりの歌人の追求したものが見えてほしい。「第二芸術論」の影響が背後に生々しく感じられるだけではなく、以後の作品の変化への理解の鍵となるものを最初に置きたい。
 そんな思いが生まれて、初期の短歌のみずみずしい抒情からはじまり、鍵となる言葉や、のちに頻出するイメージの原型がすでにあり、「水葬物語」のここではないどこかの物語を紡ぐ短歌への変化がくっきりと見える『透明文法』を冒頭に置いてみた。するとその効果は絶大。おどろいてしまうほど物足りなさや違和感がなくなり、選歌の目指すべきところまで、見えてきたような気がした。
 後年、作歌の空白部分を埋めるために編まれたからだろう『透明文法』は、作者である塚本邦雄が、短歌のどこを見てほしいかを語っている歌集なのだ。


★「蜉蝣紀」のかなしみ

  眼裏(まなうら)にかなしみの色湛へつつ壯んなる夏の花に對(むか)へり
                         『透明文法』「蜉蝣紀」
  枇杷の花夕べの霜に冱ゆるころ古歌とほくほろびひびきを傳ふ
  飢󠄁ゑすなはち魂(たま)にしひびくことわりや枇杷散りてさむき膝をそろへぬ
  額 (ぬか)あげて見む春ならずわれもまた咲かされて明日に冷ゆる葉ざくら
  鬱金櫻(うこんざくら)蘂蒼みつつ散るなべに遺響のごとき春なりにけり
  やぶれはててなほひたすらに生くる身のかなしみを刺す夕草雲雀(ゆふくさひばり)

 『透明文法』には昭和二十一年から昭和二十三年頃までの作品と、『水葬物語』以降、昭和二十八年頃までの作品が収められているという。巻頭に置かれた「蜉蝣紀」は昭和二十一年頃の作品。戦後すぐに創られた短歌から厳選された作品が並んでいる。「かなしみの色」はまだ具体的には言い表せない悲しみそのもの。その存在感に、圧倒されていたら「飢ゑすなはち魂にしひびくことわり」に出会い立ち尽くしてしまった。「飢ゑ」とは飢餓であり心の飢えでもあるだろう。「遺響のごとき春」に込められた生き残ったもののかなしみ。「生くる身のかなしみを刺す夕草雲雀(ゆふくさひばり)」など「かなしみ」は幾度も現れて、鋭い針に刺されたような痛みを抒情的な韻律にのせて奏でつづける。
 「蜉蝣紀」の一連には、敗戦がもたらした強い思いがあり、その思いが、晩年に至るまで途切れることなく戦争への怒りや、人間の抱くかなしみを、言葉で表現しようと試み続けた強靭な精神力の源であったことに、気付く。


★韻律の変化

  枇杷の花夕べの霜に冱ゆるころ古歌とほくほろびひびきを傳ふ
                          『透明文法』「蜉蝣紀」
  愛戀のたはやすきかなわがうでに抱きしめたるは若葉風のみ
                          『透明文法』「暗穀イ」
  萬高フつゆ光る野にめざめたりはね濡れて透くわれのそびらよ
                          『透明文法』「暗穀イ」
  國籍のなき戀人がかくしもつ旅劵のうらにあるただしがき
                          『透明文法』「八日物語」
  櫻桃にひかる夕べの雨かつて火の海たりし街よ未來も
                          『透明文法』「少年展翅板」

 そして、「古歌とほくほろびひびきを傳ふ」「愛戀のたはやすきかな」「はね濡れて透くわれのそびらよ」などごく初期の作品に息づくたおやかな韻律から、後半に収められた『水葬物語』以後の句跨りのもたらす屈折した韻律への変化を読み進むうちに、短歌特有の韻律を体得していたから、語割れ句跨りなどによる韻律の改革が可能だったのではないかという推測は、確信へと変わっていった。
 「八日物語」から始まる後半は、『水葬物語』刊行以後から『装飾樂句』のあたりまでの作品。頭韻の一連も組み込まれている。


★幻視者生誕の謎を解く鍵

 『透明文法』を読んでから、どこか異界の物語のような『水葬物語』へと読み進めると、鎮魂の思いが色濃く立ちのへぼり、恋、戦争、生き残った私を許す、などを意識しながら、『青き菊の主題』へと、西洋文学、映画の手法、古典などを取り入れて短歌を太らせてゆく過程が、違和感なく受け入れられる。

  一九七四年 六月刊 塚本邦雄『驟雨修辭学』大和書房 
  一九七四年 九月刊 『葛原妙子歌集』三一書房
  一九七五年 六月刊 塚本邦雄第一〇歌集『されど遊星』人文書院
  一九七五年 十二月刊 塚本邦雄『透明文法』大和書房 

 無事出版にこぎつけてから気づいたのだが、この並びは興味深い。『装飾樂句』と同時期のほぼ未発表作品を収めた塚本邦雄歌集『驟雨修辭学』は、一九七四年六月刊。葛原妙子の第二歌集「縄文」と第四歌集「薔薇窓」が時を経てまとめられ収録された三一書房版『葛原妙子歌集』は、同年九月に刊行されている。『驟雨修辭学』のあとがきにすでに告知されていた『透明文法』はその一年余りのちの一九七五年十二月刊。先に告知されていたので、どのように共鳴しあっているのかは不明だが、塚本邦雄が『葛原妙子歌集』を読み、一冊になっていない時期の短歌をまとめて、空白を埋めると、その歌人が何を目指しているのかが、見えやすくなってゆくのを目の当たりにして、『透明文法』を編年順にまとめたのではないかと思ってしまったのだ。
 それまでの序数歌集とは違い塚本邦雄ブランドを意識して編まれた『されど遊星』と同年に刊行というのも暗示的。かつて「私の短歌の読者は五百人でいいんです」と公言していた作者が、自身の短歌の生誕の謎を解く鍵を、以後の読者のために残しておいてくれていたのだと思いながら読み返すと、なかなか味わい深い。「今頃気づいたのかね」と言われてしまいそうだが、『透明文法』帯文の結びの部分、「幻視者生誕の謎を解く唯一の鍵となるだらう」が沁みるのだ。


最後に
『塚本邦雄歌集』には鎖歌、日付のある歌、カリグラムなどを取り入れた作品も収録したので、入れたいけれど入れられなかった作品も多い。「私の好きなあの作品がない」と選ばれていないからこそ存在感を増す短歌を書き加えたくなる。そんな読み方をしてくださると幸いです。


プロフィール
尾崎まゆみ(おざき・まゆみ)
「玲瓏」編集委員。1991年短歌研究新人賞受賞。神戸新聞文芸短歌選者、伊丹歌壇選者。歌集に、『微熱海域』、『酸つぱい月』、『真珠鎖骨』、『時の孔雀』、『明媚な闇』日本歌人クラブ近畿ブロック優良歌集賞、『奇麗な指』 『ゴダールの悪夢』。他にセレクション歌人12『尾崎まゆみ集』「尾崎まゆみ歌集」現代短歌文庫132。歌書『レダ靴を履いてー塚本邦雄の歌と歩く』、共著『塚本邦雄論集』など

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