撃ちころしてくださいわたし身体中ひかりにまみれとてもしあわせ
馬場めぐみ『無数を振り切っていけ』(以下引用全て同書)
ぎょっとするような上の句だが、これはライブを見ている最中のことだろう。「ひかりにまみれ」にころされて血まみれになるイメージも重なってよぎり、生と死が一体となって迫ってくる。危うくも魅力的な歌だ。「声帯を震わすひとが出す音に揺らされるとき草木のひとつ」という歌が次に続く。
この夏、ライブを観に北海道まで行った。オタク用語で言うところの「遠征」というやつだ。timeleszというアイドルグループの全国ツアーのうち、真駒内での1日しかチケットが取れず、夏のハイシーズンの北海道に、大枚はたいて行ってきたのだった。
そこで撃たれた。アイドルのライブでファンはたいてい、ステージ上の彼らに伝えたいことをそれぞれ「撃って」とか「ハートつくろ」とか「好き」とか団扇に目立つように書いて持っており、近くに「推し」がやってきた際にその望みを叶えてもらうのが楽しみの一つらしい。それで私も、そうした「ファンサうちわ」を作ってライブ中持っていた。それをたまたまアンコールで目の前にやってきた、推しの菊池風磨に見られて、両手で弓を構えるようなポーズで、バーンと呟かれつつ顔を撃たれたのだった。
夢のなか もしくはあの世 まばゆさにふらつきながらステージに立つ
夢のそと すなわちこの世 眩しさを身に受けながら客席にいる
あの世とこの世が決して交わらないように、ステージ上と客席に同時に立つことはできない。なのに、一首ごとにそれが切り替わる。夢のなかとそとの、どちらにいるかわからなくなる。
決して交わらないはずの世界が交差する瞬間を、私も知っていると思った。ステージの菊池風磨に狙われて撃たれた瞬間、しんだ、と思った。全ての音が遠のいて静まりかえる不思議な瞬間が訪れて、この世に二人しかいなくなった。
わたしじゃないひとでこんなに満たされた場所にそれでもいたくていつも
「わたしじゃない」のに「わたし」を最も感じる歌だ。わたしじゃないひとで満たされても、わたしは消えることがない。わたしじゃないひととわたしは、同じ空間で同じひかりを浴びながら対峙している。
あの世とこの世はひかりでつながっている。時間の流れが止まる。ライブという空間では、ひとりひとりに誰にも知られず奇跡が起きる。
撃ちころしてくれないことは知っていて夢は砕けてからが本性
「撃ちころしてください」と望みながら、それが叶わないことも知っている。ほとんどの夢は叶わない。だが砕け散ってはじめて、「夢」という摑みどころのない言葉の本性がわかるのだ。そこから本当の夢がはじまる。
天才に踏みにじられる雪として息絶えるとき立ちのぼる虹
あきらめていいのだというように驟雨 くだかれた宝石のようだね
精いっぱい生きたいよわたしも 生きた後誰かの中で星になりたい
踏みにじられ、息絶え、あきらめ、くだかれたのちにこそ、放たれる光がある。うしなわれたように見えても、決してなくならない虹や宝石や星の輝き。生と死が一首のなかに交差したのち、必ず光が見いだされる。それはライブ中に全身で浴びた、いのちの輝きのバリエーションなのだと思った。
プロフィール
錦見映理子(にしきみえりこ)
1968年東京生まれ。未来短歌会所属。歌集『ガーデニア・ガーデン』、歌書『めくるめく短歌たち』、小説『リトルガールズ』、『恋愛の発酵と腐敗について』他。