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会員エッセイ

2025/09/01 (月)

【第48回】焼け野が原   廣野翔一

 自分の短歌が作り始めたのが14歳だから、短歌を作りはじめて今年で20年になる。短歌を辞めようとしたことは人並み程度にあるけど、結果的に短歌を続けた方の人間になってしまった。ここまで来ると多分短歌をやってきたことは消せない。
 歌を辞めることを思うとき、このごろは『3月のライオン』の或る一局が混線してくるようになった。
 単行本で言うとあれは8巻。全5戦のタイトル戦である棋匠戦で、初タイトルがかかる島田八段に追い詰められる柳原棋匠。自分の身が焼けてしまう様な攻防の中で、柳原はこれまで辞めていった同期の棋士や、馴染みの記者といった戦友たちのことを思い出す。焼け野が原の中で、敗色が濃厚になる中で彼らからいつの間にか託されていた襷が、自分のもとから吹き飛ばされていく、が、彼は無数の襷をなんとか手繰り寄せ、起死回生の一手を繰り出す。そこからの彼は盛り返して島田を退けこの一局を制す。
 手繰り寄せた無数の襷について、対局が終わった後に柳原はこう述懐する。

「時に身動きさえとれぬ程重いものであったが、火だるまになる恐怖からも重く逃げ出せぬように縛りつけてくれていた。だとしたら、俺はひょっとしてこの「重さ」のおかげでここまで逃げずにこれたと言えるのか…。」

  冬の井戸 こんなにつめたいまばたきにこころのとてもとおくから雪/小林朗人

 左右社から出た『雪のうた』に懐かしい歌と懐かしい名前を見た。かつて一緒に歌をやっていた人のことを、その歌の静謐さを今でも思い出せる。歌人としての彼のことを思い出してくれる人(たぶん筒井菜央さんだと思う)が左右社にいたことを嬉しく思う。
 これは歌の意図からとても遠い話だけど、私を歌につなぎとめているのは、いま目の前に居る歌人より、かつて目の前に居た歌人や、そこにあったはずの短歌なのかもしれない。もういないあなたも、あなたも、俺に襷をつなげるつもりで歌なんか作っていなかったと思う。もっと個人的な理由で作っていただろうし、たまにはその理由を歌会などで笑えていたと思う。でも、そういうことが起きている。そうじゃないと、あなたがいない焼け野が原に私が居ることに説明がつかない。焼け野が原に居るのも楽じゃないのに。

  一輪の花を静かに挿すようにきみの水辺に歯ブラシを置く/上本彩加

 将棋の方はどうなのか知らないけど、短歌の方の焼け野が原だと、襷を脱いだ人が戻ってくることがある。最近、就職で長く離れていた人が、歌会から短歌に戻ってきた。そして今年になったばかりの時期に、今度応募する短歌研究新人賞の原稿を見せてきた。
 この焼け野が原は戻ってくることもできる。
 出した本人は悔しかっただろうけど、原稿にアドバイスしている時、賞の結果を見た時、その事実がとても嬉しかった。まだ燃えやまぬ野の中で私はこんな瞬間を待っている。


プロフィール
廣野翔一(ひろの・しょういち)
1991年、大阪府生まれ。塔短歌会会員。「短歌ホリック」同人。2022年に『weathercocks』(短歌研究社)刊行。千葉県柏市在住。

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