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2026/02/01 (日)

【第53回】眠れる空穂全集   広坂早苗

 長年勤めた県立高校を、今年の三月に退職する。還暦になったのだが、定年年齢が段階的に引き上げられているため、定年退職とはならない。けれどもとりあえず一区切り、である。
 退職するのはよいとして、短歌に関わりひとつ気になっていることがある。前任校の図書室にあった『窪田空穂全集』全二十八巻・別冊一巻(角川書店)のことだ。最近読んだ『窪田空穂「評釈」の可能性』(岩波書店)でも、著者の田渕句美子氏が触れているように、空穂の成した膨大な仕事に接したい者にとって、この全集の恵みは甚だ大きい。全集が世に出たのは昭和四十年から四十三年にかけてのことで、当初予定されていた二十五巻が出るまで、空穂は存命だったという。
 三年前まで勤務していた前任校は、名門校でも伝統校でもないが、昭和四十年には既に開校して十数年が経っていた。その図書室の資料として、新刊の空穂全集が購入されたとしても不思議ではない。空穂の逝去は、満九十歳を目前にした昭和四十二年四月十二日のことだったので、古典文学に興味のある国語教員などが、そのニュースを耳にして関心を持ったのかもしれない。いずれにしろ、当時その学校に勤めていた教員(生徒ではないだろう)の誰かがこの全集の購入を思いつき、実際に購入する運びとなったのだ。それが私には、何か尊い縁のように思われる。
 しかし、である。この全集の扱いには残念なところがあった。私が全集を発見したのは、夜遅く、校舎の施錠に回った際に、いつもは閉じている司書室(図書室の奥にある)と書庫の間の扉が開いているのを見つけ、灯りをつけて異状がないか確認した時だった。長い間、誰も足を踏み入れていないような埃っぽい書庫の入口付近に、仮置きのために使うキャスター付きの低い書架があり、その上に全集二十九冊が、一冊も欠けることなく置かれていたのだ。それは大切に保管されているというより、どちらかと言えば、棄てられるのを待っている風情だった。見つけたときは驚き、興奮し、訝しんだ。なぜこんなところに空穂全集があるのだろうか、と。
 私は自宅に、結社の先輩から譲られた空穂全集を蔵しているのだが、当時は数冊が欠けていた。「短歌作法」や「歌の作りやう」を収めている第七巻「歌論T」もその中の一冊で、書庫には無論それもあった。ずいぶん前から、学校の図書資料もバーコードで管理されているのだが、その全集にはバーコードが貼られていなかったので、特に手続きもせずたびたび「歌論T」を借りた。午後五時になると施錠され、無人になる三階の隅の図書室であり、学校の鍵を管理していた私は、書庫の本を借りるのに誰の手を煩わせる必要もなかった。返却しなかったとしても誰も気づかなかったと断言できるが、学校の秘宝(まさに!)だと思っていたので、大切に扱い、何度か借りてその都度返却した。数十年昔のことはいざ知らず、少なくとも私が勤務した六年の間は、私しか手を触れることのなかった一冊だった。
 現任校への異動が決まった時、空穂全集はまた眠りにつくのだ、と思った。図書室に配架できる書籍には限りがあり、生徒の好むものや新刊を優先しようとすると、空穂全集が書庫に入ってしまうのもやむを得ない。また、学校の業務量と職員の人数を考えると、図書室運営が二の次になる事情もよくわかる。新規に受け入れた図書の配架手続きをするだけで精一杯、いつ誰がそこに置いたのかわからない古い書籍のことまで考える余裕はないのだ。その上、公立校のことで、担当職員は年々入れ替わる。引継ぎもされないまま洩れていく業務も少なからずあるだろう。
 とは言え、田舎の県立高校の暗い書庫に眠る空穂全集に、次に誰かが手を触れるのはいつのことだろうと思うと、勿体ない気持ちになる。それは私が生きている間のことだろうか。それとももう一度読まれる前に、誰かが廃棄を断行するのだろうか。関係者でなくなる私が心配しても詮ないことではあるのだけれど。

 話は変わるが、その空穂全集について。最近第一巻の「歌集T」を最初から読み、第六歌集『泉のほとり』がいいなと思ったので、好きな歌を挙げて結びとしたい。『泉のほとり』は、次女なつの挽歌を収めた『鳥声集』と、妻藤野の挽歌を収めた『土を眺めて』の間の歌集で、冒頭の一首

  湧きいづる泉の水の盛(も)りあがりくづるとすれやなほ盛りあがる

がよく知られている。空穂の歌集の中では、比較的語られることの少ない歌集ではないかと思うが、第一歌集『まひる野』から順に読むと、この『泉のほとり』あたりから急に味わいのある歌が多くなるような印象を持つ。以下は大正五年冬の作。空穂は四十歳、藤野は二十九歳で二児の母である。冬の清澄な光の中で、空穂に自然に寄り添う若い妻の姿が、神々しくさえ感じられる三首だ。しかし藤野は、哀しくも、翌春子癇のために世を去ってしまう。

  ここにとて子を坐らする冬の日のさし来て光る枯芝の上に
  冬空をあふぎし我が眼移し見れば妻もあふげりその冬空を
  われ呼びて追ひ来(こ)し妻はかがまりて裾より取りつ草の枯葉を


プロフィール
広坂早苗(ひろさか・さなえ)
1965年名古屋市生まれ。1986年「まひる野」入会、現在編集委員。

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