煌めける水面に影ははじかれて存在淡きわれとは誰ぞ
尾ア朗子『のばらのいばら』(以下引用全て同書)
一人でいることが嫌いではない。でも、ずっと一人でいることもできない。社会や人とのつながりはとても尊い。それでも時々、煩わしさを感じてしまうのも事実だ。この世の中で、どのように自分を確立するのか。これは、死ぬまで続く課題なのだと思う。
私の影は、私自身の一部だ。それが切り離された時、水面に映っている私の本体は薄く滲んでいる。「存在淡き」に心許なさが表される。人間はみな完璧ではなく、私たちは誰しもが何かを補いながら生きているのだ。その不確定さが、自身の匿名性へと繋がるのだろう。
一羽去り一羽来りぬしづかなる木としてわれはすずめとあそぶ
おそらくは相思相愛 うつしよに種(しゆ)を残さざる一羽と一人
子を産まぬ里の女は離縁され山姥となり自由を得たりとふ
自分の理想的な生き方を歩んでいる人は、どれくらいいるのだろうか。少なくとも、以前に比べれば男女ともに選択肢の幅は広がっているはずだ。これは、人生の先輩たちが声をあげて勝ち取ってくれた成果に他ならない。そして、私もまた、その流れに連なりたいと考えている。
木はとても健やかな存在だ。自然のサイクルと一体化しながら、時折、すずめと遊ぶ。命のサイクルの中にありながらも、一人で生きることを肯定する一首だ。生まれてきたからには種を残さなければならない、という重圧は、たくさんの人間を苦しめてきた。セクシャリティの問題や家族観、ライフステージの問題など理由は様々だ。人間に飼われている一羽の小鳥は種を残すことが出来ず、それに疑問を抱くことも無い。私は、信頼感や「好き」という感情は、性を介在した人間関係よりもよほど強固なものだと思っている。恋愛や結婚、子供を持つことを否定するわけでは無い。ただ、同じフラットな目線で、子を持たない人生は必ずしも不幸ではなく、子を持たないなりの豊かさがあることにも目を向けて欲しいのだ。
美しき横顔にニキ・ド・サンファルはライフルを撃つ わたしを放つ
この歌集には、シスターフッドの歌も多く見られた。昔から続いている女性の生きづらさや価値観といったものを背景に、現代の視点で問いを投げ掛ける。ニキ・ド・サンファルは自己解放として射撃絵画を制作した画家。ライフルは男性性の象徴でもあり、当時はセンセーショナルだったに違いない。「わたしを放つ」に性別や年齢、人種などあらゆるものを超越した強さを感じる。
ヘッドライト点らせ地底にくだりゆくロープ持つ手がこの世に残る
これは青木ヶ原樹海を訪れた際の歌。樹海は自殺の名所としても知られており、まさに生と死の狭間の空間と言えるだろう。葉が擦れる音や雨粒の音といった自然豊かな音が聴こえる場所でもある。明確なシチュエーションの一首ではあるが、特に下の句は、社会を生きる私たちの「今」にも重なる感覚だ。
私たちは今、先の見通しの立たない未来に向かって進んでいる。社会における私たち一人一人の存在も不安定で曖昧なものだ。しかし、その不確かさこそ、人間の多様性を許容し人間を人間らしく存在させるものだとも考える。
プロフィール
川口慈子(かわぐち・やすこ)
1984年茨城県生まれ。かりんの会所属。歌集に、『世界はこの体一つ分』『Heel』。第30回かりん賞、第18回現代短歌新人賞、第23回茨城県歌人協会賞を受賞。