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会員エッセイ

2026/05/01 (金)

【第56回】破調を読む   嶋稟太郎

  青山フラワーマーケット西新店の黒板は「鬱蒼としたい」とのみ書かれあり
     上川涼子『水と自由』

 「西新」は「にしじん」と読む。花屋の前に置かれた黒板に「鬱蒼としたい」と文字が書かれていた。内容としてはそれだけの歌なのだけど、忘れられない魅力がある不思議な歌だと思う。
 「青山フラワーマーケット」は全国に支店がある。生花を扱うので、店ごとの品揃えは異なるけれど、店の名前が同じというのはある程度画一的なフォーマットを持つので、店名を見る人は「おしゃれな花屋」というように記号的に消費する。
 しかし作者は「鬱蒼としたい」という手書きの文字を見て、フォーマットからの逸脱を感じ取ったに違いない。いつもならただ通り過ぎるだけの店舗、都市の風景のひとつであったものが、急に自分との特別な関係を持ってしまったような、思いがけない体験をしたのではないか。
 看板のメッセージは不特定多数に向けられた物でありながら、自分だけが受け取ってしまった。この体験をどうにか形にしようとしたときに、単なる記号であった店名が、主体の身体を通過して、韻律を持ち始める。
 初句「青山フラワーマーケット」十三音の大破調が決まっている。初句を受ける「西新店の」の音の構成を見ると初めの三音「i - i - i」のi母音の連続が強く印象に残る。初句は「青山フラワーマー」あたりまでa母音が連続して広がりのある韻律を期待させたところで、二句で転調してi母音へつながる展開となっている。拡散しかけた調べが収束に向かって、引き締まった緊張感のある調べに変わる。
 読者としては「西新店」で、韻律の展開の予想を軽く裏切られる。音楽で言うところのシンコペーションと近いだろうか、メインのリズムに入る前の時間にはみ出した言葉は二句に向けた助走のように機能する。この歌は二句で韻律が跳躍する。三句以降はぬらぬらと調べが連なり、結句「のみ書かれあり」へと着地する。「書かれあり」は「書かれをり」とするよりも、文字の存在感が強く感じられる。受け身の「れ」からの流れを考えると、「をり」では、誰かによって文字が書かれて今もそこにあるというようなニュアンスが強く出過ぎる。それに比べると「あり」は文字が因果を離れて、ただそこにある感じがする。文字と主体、お互いがそこまでに至る因果を超えて向き合ったある一瞬を捉えるための「あり」だと思う。

  小工場に酸素熔接のひらめき立ち砂町四十町(しじつちやう)夜ならむとす
     土屋文明『山谷集』

 文明の歌では「ひらめき立ち」の後に弱い切れを置いて、韻律をくきやかにしている。上川の場合は句切れや小休止を置かずに音の展開で歌にくびれを作っている。大胆な破調であっても歌の造りは大きく異なる。では歌の共通はどこだろうか。それはやはり、自分の時間の中に思いがけなく他者の影が入ってくるところではないか。夕方の街を歩いていて、溶接の火花が工場の窓に映った。文明はこの何の意図もない風景の一部と、思いがけなく関わりを持ってしまった。その瞬間が「砂町四十町(しじつちやう)」という音をつかみ取らせる。
 風景というのはどこか平面的なものだ。しかし風景の中に自分と結びついてしまう、自分だけが受け取れる何とも言えない瞬間があるのだ。この何とも言えなさが、歌の中のとある一点に凝集され、韻律を爆発させる。

プロフィール
嶋稟太郎(しま・りんたろう)
1988年石巻生まれ。歌集に『羽と風鈴』。未来短歌会ニューアトランティス。

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