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2026/06/30 (火)

【第58回】小村雪岱の挿絵のことなど   柴田典昭

 新幹線で首都圏方面から西へと向かって掛川駅を過ぎると、線路沿いに円筒形の白い建物が見える。関西方面から東に向かえば、浜松駅を過ぎて掛川駅の手前あたり。資生堂アートハウスである。この美術館は資生堂の掛川工場に併設され、資生堂が収集した作品を保存し、この地での展示、公開の場としての役割を果たして来たのである。
 ところで、掛川の街からしばらく旧道を東に向かうと、小高い山の頂きに至り、視界が開けて来る。西行の名歌で知られた小夜(さよ・さや)の中山である。

  年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山
   (『西行法師家集』所収)

という西行の和歌が詠まれた地である。五十年ほど前、窪田章一郎の揮毫による歌碑が立てられ、周囲は公園として整備されている。峠を抜ける風を感じながら佇んでいると、いつしか時を忘れてしまう。
 小夜の中山からほど近いところに〈つま恋〉がある。かつてヤマハのポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)の会場の一つになったところで、〈つま恋〉の名は、小夜の中山で詠まれた橘為仲の和歌、

  旅寝する小夜の中山さよ中に鹿ぞ鳴くなる妻や恋しき
   (『風雅和歌集』所収)

に由来すると言う。
 さて、資生堂アートハウスはこの6月末をもって閉館した。最終の展示は「資生堂アートハウス所蔵作品展 小村雪岱―江戸を夢見る―」他であった。
 小村雪岱は1918(大正7)年から1923(大正12)年にかけて、資生堂意匠部に所属しており、「資生堂書体」を生み出したほか、初期の資生堂と深い関わりがあった。言わば資生堂アートの生みの親の一人と言えるだろう。
 展示されていたのはB5サイズに満たないような挿絵原画、A4、B4サイズほどの彩色素描、木版画などであり、いずれも小ぶりなものばかりである。そこに雪岱の美意識や、江戸の情緒、同時代の市井の息づかいなどがぎっしり込まれていたのである。
 私が雪岱の挿絵を見つつ思い浮かべたのは、窪田空穂のいわゆる「微動論」である。短歌という小詩型に盛ることが出来るのは、せいぜい刹那の「気分」であり、「微旨」であって、そもそも抒情詩とはそうしたものだと言うのである。 
 こうした考え方は、空穂が歌を始めた当初から抱いていたものであったと言う。そのことがはっきり自覚されたのは、短歌を一時離れて、小説や評論に向かい、再び短歌に戻るまでのことであった。明治の末年から大正の初期にかけてのことである(武川忠一『窪田空穂研究』2006)。
 また、折口信夫が、若山牧水や石川啄木の名を挙げ、「微動論」が当時の歌人に多大な影響を与えたと言う(「自歌自註」)のもこの頃のことであり、「アララギ」誌上で写生論が深まり、確立して行くのもこの頃からのことであろう。
 窪田空穂と小村雪岱との直接的な接点については、寡聞にして知らない。ただ興味深いのは、二人はともに明治20年(1887年)の生まれであり、同じ時代の空気を吸っていたことである。短小の世界に専心することで、却って豊かな情感を盛ることが出来るという逆説をそれぞれの世界で生かして行ったのだろう。そこに市井の人としての自覚ということも加えてみたい。憶測交じりに言えば、空穂の短歌と「アララギ」の短歌とは、相反するように見えて、この時点では案外、近い所にあったのかも知れない。

  刈り込まれし青草生なれ畳の間ほつそり黒き三味線を置く

 米川千嘉子『雪岱が描いた夜』(2022)より引いた。雪岱の「青柳」という画を目にして、その情趣を表現した作品である。小ぶりな画と短歌と、その近さを改めて感じる。
 さて、雪岱の装幀本70冊余りを一堂に揃えた展示も圧巻であった。現在、われわれが手にする歌集の多くが装幀にも意匠を凝らし、こうした華やぎを受け継いでいることが改めて思われた。


  
プロフィール
柴田典昭(しばた・のりあき)
1956年、静岡県浜松市生まれ、湖西市在住。「まひる野」編集委員。歌集に『野守の鏡』『半日の閑』など。

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